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ましゅう、この年になって「忍耐力」というものがついてきた。

「もっと早く若い頃から、この忍耐力がちゃんとありゃなあ、もっといい人生を歩んでいただろうにい…」なんて自分で自分を呪ったりしたが、いまさら遅い。

若い頃はなぜだか、焦っていた。なんでだろう?よくわからないが、いろんな事に焦っていた。

たぶん高校卒業して、田舎からいきなりこんな「大都会東京!」に出て来たましゅうは、まわりのものや人が、ホントまぶしいくらい輝いて見え、

同じ年令の女の子がすべて、自分より美しく、自分よりお金持ちで、自分より賢く見えた。

東京のレベルの高さを思い知った。

「都会はすごい!」と思い、圧倒された。クラスの中でも自分は底辺にいるような気がしたんだろう。

田舎もののコンプレックスを刺激されたのかもしれない。

「このままでは押しつぶされる」と思い「なんとかしなきゃ」と思っていて、焦っていたのかもしれない。

またその焦りは「人の意見を素直にきかない」という頑固さにも通じてしまった。

若い頃のましゅうは、頑固だった。素直に人の話しを聞くだけの心の余裕がなかった。

それは結局とても損で、自分で自分の世界を狭くするだけだった。

田舎もののましゅうを支えていたのは「吹けば飛ぶような、うすっぺらーいプライド」だけだった。

また一人暮らしがそれに拍車をかけた。だだっ広ーい東京で、身内はおらず、頼る人などいない。

自分だけが頼りだった。たぶん、そういう「すべて自分でやらなければいけない」という環境も「がむしゃらに自分で自分を守ろうとする事」から「焦ったり、頑固になったりする」要因だったのかもしれない。

あーー、今頃やっと自分を振り返る事ができてうれしい。

じゃあ、若い頃、もし、焦らずのんびりと頑固にならず、生活をしていたらどうだっただろうか、と考えるが想像できない。

あまりにもかけ離れすぎて、想像できないよ。

ただ、思うのは今よりもっと、早く結婚してしまってただろうなあ、とは思う。

多分20代で結婚していただろう。そして結婚したことを後悔し×(バツ)が一個ぐらいついているかもしれない。

でもまたそういう人生もいいかなあ、とは思うが結局他の人生なんて選べないので「今のままでもいいかあ…」と、諦めのような、もしくは自己肯定感を無理矢理満たすような開き直りのような気持ちがわき上がってくる。

若い頃のましゅうは確かにそういう生き方しかできなかった。(知らなかった)

が、それはたぶん「その時、自分が考えて考えた末の自分にとって一番いい方法」だったと思うので、それでいや、と思う。

人は常に「今一番、自分にとっていい方法」を選びながら生きているから。

そんな悲しい過去だけどそのうち「いい思い出」になることを祈っている。

そして今42歳だというのにまだ「未来に向かってしあわせになるには今、なにが必要か?なにが足りないのか?どうしたらいいか?」とよく考える。

過去はもうどうでもいいんだ。未来しかもう見ていない。

過去がどんなに悲しいものであっても未来も同じとは限らない。

それどころか、だからこそ「自分の未来は絶対しあわせになってやる!」という執念のようなしつこさで「絶対、手に入れてやる」と思うことが多い。

またそれが、本当に現実となって実る事が多く、ひいてはいつのまにか「忍耐力」につながってきたようだ。

人生どうなるかわからない。

どうなるかわからない、だったらましゅうは「いい方へ」転びたいといつも思う。(あー欲深いね)

忍耐力はなんとか手に入った。今ましゅうは次ぎにほしいものを考えてる最中だ。